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大荒れの1996年モナコGPは、ジャン・アレジのキャリアを象徴するレースだった?

オリビエ・パニスが14番手スタートから優勝したことで知られる1996年のF1モナコGP。しかしベネトンのマシンにサスペンショントラブルが起きていなければ、優勝はジャン・アレジのものだっただろう。これは光る走りを見せながらもわずか1勝に終わったアレジのキャリアをある意味象徴するレースなのかもしれない。

Jean Alesi, Benetton B196

 1996年のモナコGPは、F1の歴史の中でも最も有名なレースのひとつだ。雨によって波乱が相次ぎ、最終的にチェッカーを受けたマシンはたったの3台。優勝したのは14番手からスタートしたリジェ・無限ホンダのオリビエ・パニスだった。この大波乱のレースは今でも人気が高く、新型コロナウイルス流行によるシーズン中断期間では、F1公式YouTubeチャンネルでフルレースの模様が期間限定公開された。

 このレースはパニス、そしてリジェのサプライズ優勝が多くのファンの記憶に残っているが、ひとりのF1ドライバーの悲運なキャリアを象徴するレースでもあった。そのドライバーとは、当時ベネトンに在籍していたジャン・アレジだ。

 アレジはティレルで鮮烈なF1デビューを飾った後、1991年にフェラーリに移籍。1979年のジョディ・シェクター以来のタイトルをマラネロにもたらす逸材として、大いに期待されていた。

 しかし待ち構えていたのは、実力を最大限発揮できないフラストレーションの溜まる日々であった。1992年からチームは極度の不振に陥り、チームが息を吹き返した1994年以降も、何度も優勝に近付きながらも不運に見舞われることが多く、1995年カナダGPでようやく記録した1勝がフェラーリ唯一の勝利となった

 アレジは1996年、チームメイトのゲルハルト・ベルガーと共にベネトンへと移籍した。代わってフェラーリ入りしたのはベネトンで2年連続チャンピオンに輝いたミハエル・シューマッハー。実質的な2対1のトレードだった。

 移籍先のベネトンで、アレジは順調な活躍を見せた。ブラジルで2位、アルゼンチンで3位を獲得し、第6戦モナコGPへと乗り込んだ。そして予選ではシューマッハー、デイモン・ヒル(ウイリアムズ)に次ぐ3番グリッドを確保した。アレジはこれまで3度モナコで表彰台を獲得しており、比較的相性の良いコースだったのだ。

 スタート前の雨でコースはウエットという状況の中、決勝レースはスタート。ヒルがホールショットを奪い、シューマッハー、アレジと続いた。

 その直後、シューマッハーはらしからぬミスを犯す。彼はポルティエの手前で縁石に乗り過ぎてしまい、ウォールにヒット。アレジが2番手に浮上した。

 しかしモナコ初制覇を目指すヒルのペースは速く、アレジは置いていかれてしまった。レース中盤にはその差がほぼ30秒に膨らんだ。

 これでヒルの優勝はほぼ確実かに思われたが、ウイリアムズのマシンのダッシュボードには警告灯が点灯した。その後、40周を終えたところでヒルのマシンはブローし、トンネル後のシケインのエスケープにマシンを止めた。これで初の“親子でのモナコ制覇”も幻と消えた。

Jean Alesi, Benetton B196

Jean Alesi, Benetton B196

Photo by: Ercole Colombo

 これによりアレジはレースリーダーとなった。この時点で残るマシンは10台前後となっており、波乱に乗じてパニスが順位を大きく上げていたが、アレジは後続に30秒近いリードを築いていた。

 キャリア2勝目が見えたアレジは残り21周でピットインし、燃料を補給してスリックタイヤを装着した。そしてパニスの10秒前でコースに復帰。伝統のモナコGP制覇に向け、盤石と思われた。しかしその勝利は、するりとその手から抜け落ちてしまう。

 残り15周でアレジは3度目のピットイン。クルーは準備しておらず、緊急ピットインであったことは明らかだった。メカニック達がマシンを見渡して何が問題なのか問題なのか見ている中で、アレジは右手を上げ、親指を右リヤに向けた。明らかにフラストレーションをあらわにしていた。クルーは新しいタイヤをリヤに装着し、アレジを7番手で戦列に戻した。

 交換したタイヤをチームが調べたところ、パンクなどは見当たらなかった。つまりアレジが抱えているトラブルはタイヤによるものではなかったのだ。アレジは次の周に再びピットに戻ると、ステアリングを外してマシンを降りた。

 さらなる調査の結果、アレジのリタイアはサスペンションの故障が原因であることが判明した。テレビカメラが捉えたガレージの奥でのアレジの虚ろな表情は、このリタイアがいかに堪え難い屈辱であるかを如実に表していた。

Jean Alesi, Benetton

Jean Alesi, Benetton

Photo by: Motorsport Images

「優勝に限りなく近付いた後(のリタイア)だから、本当にガッカリした。特にここはモナコだからだ」

 アレジは後にそう語っている。

「マシンは素晴らしかったし、リヤに違和感を感じるまで何も問題はなかった。僕はピットに入ってマシンをチェックし、タイヤを交換して出ていった」

「その後、サスペンションのトラブルで再びピットに戻らなければいけなかった。この週末はチームにとって非常に期待の持てる週末だった。僕たちは前を向いて次のレースで優勝に近付けることを目指さないといけない」

 レースを制したのはアレジと同郷のフランス人であるパニスだった。現時点(2019年シーズン終了時点)でこれはフランス人ドライバーによる最後のF1勝利となっている。

 その後のアレジはどうだったのか? 厳密に言えば次のレースでも勝利に近付いた。雨のスペインGPで2位に入ったが、優勝したシューマッハーには大きな差を付けられた。

 そして彼は1997年のイタリアGPでポールポジションを獲得し、デビッド・クルサード(マクラーレン)に次ぐ2位に入るなど、何度か優勝に近付くことはあった。しかしながら彼は1995年カナダ以来一度も優勝トロフィーを増やすことができないまま、2001年にF1キャリアを終えた。

 1996年モナコGPでパニスではなくアレジが優勝していれば、このレースはそれほど衝撃的で思い出深いものとはならず、F1ファンが今日まで伝説として語り継ぐようなレースとはならなかっただろう。そうは言ってもアレジの波乱万丈なF1キャリアを考えると、彼がもしモナコで優勝していれば、今でも敬意と愛情を込めて思い出されるレースになったのではないか……そう思わされる。 

 この年のモナコGPは、ある意味でアレジらしいレースだったのかもしれない。

 

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