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光り輝く”最後の”スーパー代役ドライバー:16年バーレーン、バンドーンの衝撃

フェルナンド・アロンソが2016年の開幕戦オーストラリアGPで大クラッシュを喫し負傷。続くバーレーンGPを欠場することになった。このレースで代役を務めたのは前年のGP2王者であるストフェル・バンドーン。彼のF1キャリアは難しいモノとなったが、そのレースではハイライトとも言える活躍を見せた。

ストフェル・バンドーン(マクラーレン・ホンダMP4-31)

ストフェル・バンドーン(マクラーレン・ホンダMP4-31)

McLaren

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 F1には、”スーパーサブ”ドライバーの様々な歴史がある。つまり、代役参戦ながら大活躍し、F1でのキャリアを切り開いていったのだ。

 ミハエル・シューマッハーも、それを達成したひとりである。彼はベルトラン・ガショーが傷害事件を起こして逮捕された際、1991年のベルギーGPで代役としてジョーダンのマシンを走らせた。またセバスチャン・ベッテルのデビューも、2007年のカナダGPで大クラッシュを喫したロバート・クビサの代役として、次戦アメリカGPでBMWザウバーのステアリングを握ったモノだった。

 しかし、最近のF1では、スーパーサブの例がほとんどない。2018年と2019年は、20人のドライバー全員が全てのレースに参戦することになった。

 2017年には、何度かドライバーの変更があった。怪我、出走レースの重複、ドライバーズマーケットに関係するモノ……などで、アントニオ・ジョビナッツィ、ピエール・ガスリー、ブレンドン・ハートレー、ジェンソン・バトン、ポール・ディ・レスタらが代役を務めた。しかしそのいずれも、12位以上でフィニッシュすることはなかった。

 代役として素晴らしい活躍を披露した例としては、その1年前のバーレーンGPまで遡らなければならない。それは、ストフェル・バンドーンである。

 バンドーンは何年にもわたって、F1シート獲得に近いところにいた。2013年にはフォーミュラ・ルノー3.5でケビン・マグヌッセンに次ぐランキング2位となった。翌年からはGP2に挑み、その初戦で優勝したものの、結局はランキング2位に終わっている。

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Fernando Alonso, McLaren MP4-31, crash

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Photo by: Daniel Kalisz / Motorsport Images

 ただ当時のマクラーレンのレーシング・ディレクターであったエリック・ブーリエは、タイトルを獲得することを熱望。バンドーンはそれに応え、2015年シーズンには7勝を含めた記録的なポイントを獲得し、圧倒的な強さでチャンピオンに輝いた。

 しかし当時のマクラーレンは、フェルナンド・アロンソとジェンソン・バトンという、F1チャンピオン経験者のコンビ。バンドーンが入り込む隙間はなかった。そのためバンドーンは、活躍の場を日本に求め、スーパーフォーミュラに参戦することになった。

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 ただ2016年のF1開幕戦オーストラリアGPで、アロンソが大クラッシュに見舞われてしまう。彼は305km/hという超高速でクラッシュし、その身体には46Gもの力がかかった。幸い自力でマシンから脱出することができたものの、医師の診断で肋骨の骨折と肺へのダメージを負っていることが分かった。FIAの医療スタッフはその結果を受け、アロンソは第2戦バーレーンGPに出場するのは不適格だと宣言した。

 マクラーレンはすぐさま行動を起こし、バンドーンをバーレーンに呼び寄せることを決めた。当時バンドーンは、スーパーフォーミュラのテストに参加するため、日本で準備を整えているところだったのだ。

 その決断はギリギリだったが、バンドーンはドバイ経由で木曜日にバーレーン入りすることができたため、最初のフリー走行に間に合い、マクラーレンMP4-31を初めて走らせた。

 バンドーンはFP1でバトンから0.9秒遅れ。続くFP2ではその差を0.7秒にまで縮めた。オイル漏れにより、FP3での走行距離は制限されてしまったが、それでも着実にマシンを自分のモノにしていった。そして予選ではなんとかQ1を突破し、Q2ではバトンを上回る12番手を獲得。デビュー戦としてはこれ以上ない予選結果となった。

Stoffel Vandoorne, McLaren MP4-31 and Pascal Wehrlein, Manor Racing MRT05

Stoffel Vandoorne, McLaren MP4-31 and Pascal Wehrlein, Manor Racing MRT05

Photo by: XPB Images

「最初の予選がどう進んだのか、それについて文句を言うことなどないよ」

 バンドーンは当時そう語っていた。

「何を期待すべきか、本当に分からなかった。でも、昨日のFP2から良い感じだったんだ。マシンに自信が持てたので、今日の午後(予選)では多かれ少なかれ、チャンスを最大限に活かしたと思う」

「でもジェンソンを上回ることができたのは、ちょっと驚きだった」

 バトンも、バンドーンに予選で敗北したことを認めていた。

「彼は良い仕事をした。僕は良い仕事ができなかった。僕には常に競争力のあるチームメイトがいて、それがプレッシャーになっている。いつもと何も違いはないよ。彼は今日、とても良い仕事をした。正しく走ったんだ。でも僕は、Q2でそれができなかった」

 そしてバンドーンは、決勝でも印象的な走りを見せる。

 彼のスタートは、うまく行かなかった。序盤の激しい戦いでバトン、セルジオ・ペレス(フォースインディア)、エステバン・グティエレス(ハース)らに先行され、順位を落としてしまったのだ。しかし彼はすぐに持ち前の冷静さを取り戻し、リズムを掴んでいった。そして最初のピットストップで、ペレスやニコ・ヒュルケンベルグ(フォースインディア)を抜くなど、順位を上げていった。

 バンドーンはこのレースで3ストップ戦略を採用。レース終盤、新品タイヤのメリットを生かし、前方を行くマシンにプレッシャーをかけていった。そしてマーカス・エリクソンのザウバーを抜き、ポイント圏内に浮上。その後はウイリアムズのバルテリ・ボッタスとの差を縮めていった。当初14秒あった差は、最終的に3秒弱にまで縮まった。

 バトンはレース序盤にERSのトラブルによりリタイア。バンドーンはF1デビュー戦のプレッシャーに押し潰されることもなく、10位でフィニッシュしていきなりポイントを持ち帰った。この1ポイントは、その年のマクラーレンにとって最初のポイントであった。英オートスポーツ誌はこのバンドーンの活躍に対し、10点満点中9点の高評価を下した。

「今週末は僕にとって、大きなチャンスになった」

 バンドーンはレース後にそう語った。

「僕はそのチャンスを最大限に活用し、僕にできることを示せたと思う。だから僕は今は待つだけ。次に何が起きるのか、それを見なきゃいけない」

「それは僕が決めることじゃないから、未来に何が起きるのか、見てみることにしよう」

 レーシングディレクターのブーリエは、バンドーンの活躍を「素晴らしい」
と称賛した。

「彼は今日、これを成し遂げた。今後、明らかにもっと良くなっていくだろう」

「もし彼が再びレースをする場合……そうなることを望んではいないが……しかしもし彼が再びマシンに乗ることになれば、チームは今や、彼がしっかり仕事をすることができるということを確信している」

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Stoffel Vandoorne, McLaren MCL32

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Photo by: Joe Portlock / Motorsport Images

 バンドーンは次の中国GPでも、代役を務めるために待機していた。しかしアロンソの体調が回復し、マシンに戻った。

 バンドーンはその年、やはり初参戦のスーパーフォーミュラで2勝を挙げる活躍を見せ、ランキング4位となった。そして2017年、バトンの後任としてマクラーレンF1のレギュラーシートを手にすることになった。

 ただ皆さんもご存知の通り、2017年もバンドーンが同じような輝きを放ち続けることはできなかった。最高位は7位。結局13ポイントしか手にすることができなかったのだ。

 2018年のバンドーンは、さらに厳しい結果しか残すことができなかった。チームは2017年限りでホンダと袂を分かち、この年からルノー製のパワーユニットを搭載。しかし戦闘力は向上せず、バンドーンの入賞はわずか4回。獲得ポイントは12ポイントに留まった。しかも予選では、チームメイトのアロンソに全敗するという不名誉な記録を作ってしまったのだ。

 マクラーレンはこの2018年限りでバンドーンとの契約を終了。翌年からカルロス・サインツJr.とランド・ノリスという一新されたラインアップで戦うことを決めた。

 バンドーンはF1のシートを手にすることができず、メルセデスに移籍。フォーミュラEにHWAから参戦すると同時に、F1チームのリザーブドライバーの役割も務めた。フォーミュラEでの1年目はポールポジション1回と表彰台1回に留まったが、メルセデスがワークス参戦を始めた2019-2020年シーズンは、開幕ラウンド2連戦で連続表彰台と好スタートを切っている。バンドーンはあの輝きを取り戻しつつある。

 輝かしいジュニア・フォーミュラの成績から、F1での活躍が期待されたバンドーン。しかしそのF1キャリアはうまくいかなかった。ただ2016年のバーレーンでの走りは、最後の”スーパーサブ”として今でも多くの人の記憶に残っているはずだ。そしてもしマクラーレンとホンダのコラボレーションがもっとうまくいっていれば、その成績は全く違うモノになっていた可能性もあっただろう。

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Stoffel Vandoorne, McLaren MP4-31

Stoffel Vandoorne, McLaren MP4-31

Photo by: McLaren

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